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地味に31になってしまいました。。。あ~キリ悪い。猫さんは暑そう。。。な割にはクーラーぎらい。なんで?!
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2004年 07月 23日
7月22日(木)
小学生の僕にとって、いちばんのサッカーは日本リーグなんかじゃなくてお正月に開催される高校選手権だった。静岡のチームが選手権で活躍しなくなって久しいけど、当時は清水商業、清水東、東海大一なんかが全国大会へ出て優勝か悪くても準優勝をしていたように思う。決勝は帝京か国見。そんな時代。いろんな試合を見てきたと思うけど、ダントツで覚えているのはアデミール・サントスが決勝で決めた伝説のバナナシュート。 ブラジルから留学生が東海大一にやってきたことを知ったのはいつだろう?地元静岡のサッカー番組『KICK OFF』だったかな。褐色の肌、片言の日本語、もじゃもじゃヘア、やせっぽっちの体。東海大一は留学生まで使って!という怒りから、サントスすげーうめーという憧れにすぐ変わった。 昭和61年の選手権の決勝は東海大一対国見。サントスの伝説のバナナシュートは、先制弾となるゴール手前22メートルからの直接FK。ボールは大きな弧を描き、ゴールネットへ吸い込まれた。本当にすごいバナナ・シュートだった。そのときの大喜びするサントスをよく覚えている。シュートもすごかったけど、その喜ぶサントスの方が印象的だった。 サッカー後進国、言葉も通じない文化も違う日本に単身渡り、しかも結果を要求されたサントスの寂しさつらさ。ホームシック。周囲の奇異の視線。それをぶち破って東海大一を日本一に導く決定的な仕事をした喜び。 その後サントスはヤマハFC(後のジュビロ磐田)に入団、清水エスパルスに移籍。日本国籍がなかなか取得できず、外国人枠の関係からあまり出場できなかったように覚えている。その後サントスは三渡洲になるけれど、今度は怪我もあってやはり活躍はできなかった。そして三渡洲はそっとシューズを脱ぐ。 だから三都主の日本国籍の取得スピードは驚異的に思えた。そのくらいスピーディにサントスを三渡洲にしていれば・・・活躍できたかどうかわからないけど、(正直言えば活躍は難しかったんじゃないか、と僕は思っている)チャンスすらまともにもらえず去っていく三渡洲を見ることはなかったはず。残念。 でもでも!あの高校選手権決勝のバナナシュートは僕だけじゃなくたっくさんの記憶に残っているはず。確かにプロとしては大きな結果を残せなかったかもしれないけど、18歳のときの一本のシュートがここまでみんなの記憶に残っているのも、また驚異的。いつまでも語り継がれる名選手だと僕は思っている。 ちなみにいま三渡洲は『バナナ・シュート』というレストラン・バーをしているそうです。
by kumaze
| 2004-07-23 18:39
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